神社で神事があると耳にする祝詞(のりと)。
中でも、よく知られているのが、「高天原に~」という大祓の詞です。
あれ、何て言っているか意味、ご存じですか?
たかまのはらにいる・・・神様に、なんかお願いしてる・・・?
昔の言葉とはいえ日本語なので、な~んとなくわかるようなわからないような、そんな微妙な理解のまま「なんとなく、ありがたいよね」と、神妙に頭(こうべ)を垂れている方は多いと思います。
特に、年に二回行われる大祓式で、宮司さんといっしょに唱える時に、その意味がわかると、より言霊パワーが強まる気もするので、大祓詞の現代語訳をご紹介しますね。
大祓式って何?
大祓(おおはらえ)
大祓詞(おおはらえのことば)
大祓式は、心身にこびりついた穢れや、知らず知らず犯した厄災の原因となりかねない罪や過ちを、神様の力によってパワフルに祓い清めてもらう神事です。
夏と大晦日の年二回、日本各地の神社で行われているので、わりとだれでも気軽に参加できるのも特徴的です。
神社の境内で、参拝者がワラで編んだ大きな輪っかをくぐっているニュースや動画を目にすることもあると思いますが、あれは夏の大祓式で行われる「茅の輪くぐり」と言われるものです。
- 6月「夏越しの大祓」
- 12月「年越しの大祓」
この大祓式で神職と共に唱える祝詞が「大祓詞」です。
どこも同じかはわかりませんが、うちの近所の神社では、みんなで祝詞を唱える参加型です
それ以外にも、いろいろな式でこの大祓詞は唱えられるので、内容がわかっていれば、より・・・ご、御利益がマシマシになりそうな気が、しませんか?
・・・そのやらしい心をまず祓ってもらえ、ナ?
んんっ、ではまず大祓詞の原文をご紹介!
大祓詞(おおはらえのことば)
大祓詞は、神事の種類によって文末の言葉が多少異なりますが、それは状況によって伝える言葉、選ぶ言葉が違うだけで、内容は同じです。
ノーマルバージョンで、ご紹介します。
高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以ちて
八百萬神等を神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて
我が皇御孫命は 豊葦原水穂國を 安国と平けく知ろし食せと 事依さし奉りき
此く依さし奉りし國内に 荒振る神等をば 神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて
語問ひし磐根 樹根立 草の片葉をも語止めて
天の磐座放ち 天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 天降し依さし奉りき
此く依さし奉りし四方の國中と大倭日高見國を 安国と定め奉りて
下つ磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木高知りて
皇御孫命の端の御殿仕へ奉りて 天の御陰 日の御陰と隠り坐して
安国と平けく知ろし食さむ國内に成り出でむ天の益人等が
過ち犯しけむ種種の罪事は 天つ罪 國つ罪 許許太久の罪出でむ
此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り 末打ち絶ちて 千座の置座に置き足らはして
天つ菅麻を本刈り絶ち 末刈り切りて 八針に取り辟きて 天つ祝詞の太祝詞言を宣れ
此く宣らば 天つ神は 天の磐門を押し披きて 天の八重雲を 伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ
國つ神は 高山の末 短山の末に上り坐して 高山の伊褒里 短山の伊褒里を掻き別けて 聞こし食さむ
此く聞こし食してば 罪と云ふ罪は在らじと
科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く
朝の御霧 夕べの御霧を 朝風 夕風の吹き拂ふ事の如く
大津邊に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く
彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を
高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す瀬織津比賣と云う神 大海原に持ち出でなむ
此く持ち出で住なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す 速開都比賣と云う神 持ち加加呑みてむ
此く加加呑みてば 氣吹戸に坐す 氣吹戸主と云う神 根國 底國に氣吹き放ちてむ
此く氣吹き放ちてば 根國 底國に坐す 速佐須良比賣と云ふ神 持ち佐須良ひ失ひてむ
此く佐須良ひ失ひてば 罪と云ふ罪は在らじと
祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 國つ神 八百萬神等共に 聞こし食せと白す
夏と大晦日の大祓式では、最後のあたりがこうなります
~~此く佐須良ひ失ひてば 天の下 四方には今日より始めて 罪と云ふ罪は在らじと
今日の夕日の降の大祓に 祓へ給ひ清め給ふ事を 諸聞こし食せと宣る
んで、ここで参加者が全員で「おおー!」と叫ぶんだナ
大祓詞の【現代語訳】
大祓詞(おおはらえのことば)を現代語に直せば、こんな感じの内容です。
近所の神社で教えてもらった現代語の内容です
高天原(天上)にお鎮まいになられる民族の祖神、カムロギ(男神)カムロミ(女神)のご命令によって、八百万の神々が集まられて、会議に会議を重ね、議論に議論をつくされた結果、天照大御神は「我が子孫である皇御孫命(天皇)よ、豊葦原の瑞穂の国(日本)を、安らかな国として平和に治めなさい」と仰せになり、委託されました。
しかし、託された国内には、不平を言って反対する神々がいましたので、この神たち考えや不満を何度も聞き直し、また見直ししながら、国造りに協力してもらえないか繰り返し相談しましたら、荒れていた神々はやがてその真意を理解し、協力するようになりました。
すると、岩や木や草の一葉までもが、これに同調し、騒乱の国土はすっかり平穏に治まりました。
そこで皇御孫命は高天原の御座所を立たれ、幾重にも重なる雲をかき分けながら地上に降臨されました。
このようにして天照大御神から委託を受けた皇御孫命は、国の中心の大和の地を都と定められ、盤石な礎石の上に太い柱を建て、屋根は天まで届くかのように高い千木を取り付け、荘厳な御殿をお造りになりました。
その御殿で皇御孫命は皇祖の神々のお陰を戴きながら、この国を平安な国として治め、更に努力しますが、国内に生まれ育つ人間というのは悲しいもので、故意の罪や無意識の過ちを犯したりして、数多の罪や穢れを溜めてしまうのです。
皇御孫命はそのような罪穢れが生じた際に、それを消し去る方法を教えました。
それは、高天原の神々の儀式に倣って、細い木の本と末を切りそろえ、これを罪のあがない物として、多くの台の上にたくさん積み、また菅や麻の本と末も切り、真中の良いところを細かく裂き、それを祓いの道具に用いて神事を行い、この神聖な祓いの祝詞を唱えなさい。
このように唱えるならば、天上の神は高天原の門を開かれて、幾重にも重なった雲を押し分けてお聞きくださるでしょう。
また地上の神も、人間の様子がよく見える高い山や低い山に登られて、霞や雲や霧を払いのけ、人間の願いをお聞きになるでしょう。
このように、天上の神や地上の神々が、お聞き届けくださいましたならば、四方世界の罪穢れは一切なくなってしまうでしょう。
それはあたかも、風が八重の雲を吹き払うように、また朝夕に立ちこめる霧を風が吹き払うように、あるいは港につなぎ止めて不自由な様子の船の綱をほどき、自由に広い海を航海させるように、またうっそうと繁っている木々を鋭い鎌で切り払えば、まわりが明るくなり、さわやかな気持ちになるように、漏れ残る罪穢れは一つもないように、祓われて清らかになるでしょう。
このように祓い清められた罪穢れは、高い山低い山から谷間を勢いよく流れ落ちる早川の瀬にいる瀬織津比売という神様が大海原に流し去ってくれるでしょう。
大海原に流されたならば、押し寄せる荒潮がぶつかり合って、渦を巻いているところにいる速開都比売という神様が、大きな口を開けて罪穢れをがぶがぶ飲み込み、海底深く沈めてくれるでしょう。
海底深く飲み込まれた罪穢れは、次の、息を吹き出すところにいる気吹戸主という神様によって「根の国、底の国」という地下の国に遠く吹き放ってしまわれるでしょう。
吹き放ってくださると、根の国、底の国にいる速佐須良比売という神様が、どことも知れず運び去って、跡形もなく消し去ってくれるでしょう。
このように、あらゆる罪穢れを消し去っていただきますことを、天上の神様、地上の神様、そして八百万の神様ともどもに、どうかお聞き届けくださり、私たち人間の罪穢れを祓い清めていただきますよう、謹んでお祈り申し上げます。
…はじめのほうの荒ぶる神たちを説得するあたり、わりとマイルドだナ
そうね。別の訳文では、もっと荒っぽい方法をとりました、って匂わせるのもあるけど…こっちのほうが好きだわ
千木(ちぎ)って何?
千木(ちぎ)は、神社の屋根のV字の角のような部分のことです。
このスタイルは古代の宮殿建築にも用いられていたようで、古墳からは、千木付きのミニチュア宮殿(家形の埴輪)も出土しています。
古事記には、大国主神が「~~底つ石根に宮柱ふとしり、高天の原に氷木たかしりて~~~」と、自分にもデカい宮殿つくって祭ってよ、とおねだりしていたりします。
この氷木(ひぎ)が、なまって千木(ちぎ)となったそうです。
千木にまつわるわたしの体験です
スピリチュアル大好きの友人から、神社のこの千木にパワーがあると聞かされ「ほんまかいな」と曇り空の下でぼんやり見上げていると、千木の片方の先端にかすかに違和感を覚えました。
それが何かわからず、「ん?」と思いながら更に眺めていると、じょじょにその先端がポインターに照らされたように青みがかってくるではありませんか!
「な、なに・・・っ!?」と目をこらすと、ちょうど千木の先端部分にあたる分厚い曇り空に、まるでパンチ穴をあけたように、小さな青空がポツンと見えていました。
その青空の色が輝いて、千木の先端部分に青色後光がさしたように見えたわけです。
偶然とはいえ、友人の言葉を思い出した、まさにそのタイミングでそんな現象・・・
ぽけ~っと空を見上げている人間をみて、神様がからかったのでしょうか?
ネタバレ後には、ちょっと愉快な気分になりました。
言霊パワーで開運!?
仏教には「これだけ唱えれば救われる」という名号や題目、真言などが数多くありますが、神道にはこれといった唱え言葉は見当たりません。
というのも、神道では言葉そのものに霊力が宿り、声に出すことで言葉の力が発揮されるという言霊信仰がベースにあるからです。
そのため、特別な文言ではなく、神事では常に普通の言葉で「祓えたまえ、清めたまえ」と声に出して願うことで、神様に身についた穢れを落としてもらいます。
神社って、何かってーとお祓いするよな。ファサ~、ファサ~って
神道では、自らを祓い清めることで、清浄なる神様に近づくことができる、とされているからよ。
ピカピカにきれいになれば、神様の目にとまりやすくなって気に掛けてもらいやすくもなるんじゃないかと・・・くふふふ
・・・ま、思いっきり祓ってもらえ、ナ?
忌み言葉というのも、この言霊信仰からくるものです。
良くない言葉、不幸を連想させる言葉を口にすれば、なぜかその種の不幸を引き寄せ、逆に祝福の言葉や話題を口にすることで、状況が好転していき、開運につながる、という考えです。
科学が発達した現在でも、忌み言葉には多くの人が敏感ですし、商売をしている方は、小さな商店から大企業に至るまで「縁起をかつぐ」ことを怠りません。
もう老舗大企業になると、本社屋上にマイ神社があったりしますしね
そこまでいかなくても、どこの会社も神棚は絶対あるよナ
神社でのお参りで、具体的な内容で願い事をするのも、この言霊信仰があるからです。
自分の望みをはっきり口にする習慣のない日本人としては、少々気まずい感じもなくはありませんが、そこは割り切って願い事は素直に神様に告げましょう。
言霊がピカッと力を発揮するやもしれませんよ。
ただし、誰かを蹴落として自分が有利になるような望みは、言霊がイヤな方向に力を発揮しそうなので、やめておきましょう。
平和がいちばん!ハッピーエンドを願ってくださいね
神社本庁HPには、祝詞の読み方について、次のように記してあります。
「祝詞には、こうした言霊に対する信仰が根底にあるため、一字一句に流麗で荘厳な言い回しを用いて、間違えることがないように慎重に奏上されます。」
引用元: 神社本庁HP『祝詞について』
あとがき
当サイトにも、ちょっとぐらい明るい気分のご利益成分がほしいな、と思って神社の祝詞について書いてみました。
近所の神社は、実はわたしのお散歩コースの折り返し地点。
夏の暑苦しい午後、クーラーづけは体に良くないと思い立ってウォーキングに出かけた時がちょうど夏越しの大祓の日で、境内に人がポツリポツリと集まり始めていた時間帯でした。
「何が始まるんやろ」と遠巻きに眺めていたところを近所のおじさんに発見され、そのまま参加させられたのが、わたしの大祓式参加のきっかけでした。
それ以来、なんとなく時間が合えば(おじさん達が誘ってくれるので)参加しています。
宮司さんといっしょに皆で大祓詞を唱えて、白い人形(ひとがた)の紙で体の悪い部分をなでこすり、身についた半年間の穢れや罪を祓います。
夏(6月)は、境内の神前に茅や藁をたばねた大きな茅の輪(ちのわ)が立てられ、「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」 と唱えて、作法に則って皆が順番に輪をくぐること3回、厄を祓い、残り半年間の無病息災を祈ります。
12月の大晦日の大祓は、茅の輪くぐりはありませんが、心身までも大掃除して、清らかな身で新年を迎えるわけです。
なかなかいいものですよ。
氏子のおじさん方が言うには、「これせえへんかったら年越した気がせーへんわ」だそうです。
「心機一転」を願う年には、ぜひ近くの神社の大祓式に参加してみてください。