ある農村地域にある葬儀社で営業担当をしているN君の話。
その日、宿直当番だったN君。
ひとり暮らしの高齢女性がお亡くなりになったということで、早朝に一報が入り、準備して駆けつけたところ、まだ警官がいたり、あわただしい状態でした。
事件性はなく、早朝に玄関で倒れているところを、近所の方が発見されたそうです。
いったん出直すことにしたN君が、ふたたび到着すると、庭先から初老の男性が現れ、
「おう、来たか。こっちこっち」と敷地内へと案内してくれます。
居間に通され、「さっそくやけどな・・・」と、その男性を中心に、数人の親族らしき人に囲まれるようにして、葬儀の段取りの話へと入っていきます。
先ほどすでに旦那寺の住職には連絡をとったこと、枕経をあげてもらう手はずも整っていることなど、親族側も手慣れている様子。
順調な滑り出しに気をよくしながら、具体的な葬儀プランの内容などを、写真を見せながら説明していくN君。
それを、熱心に聞く親族。
いつの間にか、居間の人口密度は高まっています。
N君と初期メンバーの親族を取り囲むように、腰をおろして見守る大勢のじいさん、ばあさん達。
それを遠巻きに見守る方々は、亡くなった高齢女性が昨日まで元気に畑の世話をしていたことなどを話していて、その様子から、ご近所の方々と判断。
座卓周辺のメンバーは、資料のファイルを回し見しながら、互いに「ああだ」「こうだ」と意見を交わしています。
「ここのお父さんの時は、確か、このぐらいやったんとちゃうか?」
「そしたら、これぐらいがええんか・・・ん?こっちは、どうや?」
「でも、次男が会社しとるからなぁ。会社関係が多いんとちゃうか?」
「そやのぉ、大阪ぐらいやったら、取引先が来るやろ」
それをじっと観察しつつ、飛んでくる質問に的確に答えるN君。
次男がどうやら大阪で起業しており、かなり勢いがある様子。
葬儀プランもじょじょに高ランクへと関心が集まっている模様。
(よっしゃ、いける! 200万コース、いける!)
手応えを、しっかりと感じたN君。
居間に通されて、すでに2時間が経過して、だいたい意見もまとまり、粗見積りも出し、あとは契約の署名印鑑をもらうだけ。
スピスピと荒くなる鼻息をかくしつつ、すかさず書類を差し出すN君。
「それじゃ、こちらに署名とハンコお願いします」と告げたところ、
全員がキョトンとした顔をしたので、N君も「ん?」と感じたそうです。
と同時に、何やらイヤな予感も---。
「あの、喪主さんは・・・どなたですか?」
「ああ、喪主は長男や。東京やで、夕方には着くらしいで。連絡はしといたから、葬式には間に合う」
「え、あ、いや・・・。じ、じゃあ、喪主さんじゃなくても。あの、施主・・・えと、お身内の方は?ほかのご家族の方でもいいんです、けども・・・」
すると、じいさん、ばあさん達は互いに顔を見合わせ、苦笑いを始めたそうです。
「あぁ、いや、わしら近所のもんやから」
「勝手にハンついたら、そりゃ、あかんやろ」
アハハ、とのどかな雰囲気。
なんと、全員が近所の方々であった---という驚愕の事実に、
N君は、「おれ、泣いていいですか・・・」と力なく契約書をしまい、広げていた分厚いファイルをパタンと閉じたそうです。
結局、昼過ぎに大阪から駆けつけた次男と打ち合わせを行い、一日おいてのお葬式となりました。
お葬式は流麗なデザインも見事な200万円コースの花祭壇となったようで、N君はにこやかに「痛い思いしたけど、勉強になった」経験を、楽しそうに話してくれました。
農村部では、いまだに隣保制度が活きていて、いろんな場面で協力体制が整っています。
特にお葬式に関しては、近所の結束が固く、自宅での葬儀が減った今でも、代々「役割」が受け継がれている様子です。
そのことが垣間見られる、
N君がまだ初々しい時代の、苦い経験談でした。
都会では、考えられない付き合いの深さだな
でも、ちょっと安心じゃない?
じゃっかん、フライングぎみではありますが、遠くの親戚より近くの他人っていうように、高齢の住民にとって「ご近所さん」は、互いに心強い存在だと思います。
互いに下の名前呼びだしね
同じ姓が固まって暮らしているからね
子ども世代も、安心して
郷里を離れて活躍できるのは、
そういう相互扶助の考えが根付いているからかもしれませんね。