こんにちは、『終活宣言@もしも対策』の管理人&ナビゲーターの三輪あや子と申します。
ここ数年、関西にある家で、母親と暮らしている、悩み多き40代です(^_^;)。
よくA型の皮をかぶったO型といわれています。
いっしょにいるのは相棒の大型猫、クロちゃん、です。
くろえ、だ。
ここでは、自己紹介を兼ねて、私がなぜ、終活(主にお葬式)に関するブログサイトを立ち上げたのかを、お話しさせていただきますね。
よかったら、どうぞお付き合いください(*^-^*)
私がお葬式のことを考え始めたワケ
私の本業はフリーランスのMCですが、現在は各種研修会や一般向けの話し方レッスンの講師など、養成部門がメインとなりつつあります。
そうなると、身も心も引きしまる緊張感から解放され・・・
これはこれで和気あいあいと楽しく、やりがいがあるのですが、たまにMCのピンチヒッターとして現場に出動要請があっても、だんだんと「え~、めんどくさ・・・」と思うようになってきて、困りものです。
これも、年齢的な変化なのでしょうか。
そんな私ですが、最近よく考えてしまうのが、自分自身の「人生のしめくくり方」です。
それと同時に「お葬式、どうしよう」と思うことが多くなりました。
というのも、年齢的にも四捨五入するとアラウンド50な私は、今のところ独身で、子供もいません。
つまり、ある日、パタリと死んでも、後始末をしてくれる人がいないわけです。
親や兄弟姉妹がいる間は、迷惑をかけるだろうけれど、なんとかしてもらえるとしても、そうでない場合は?
自分が、最後のひとりだったとしたら、どうする?
そういうことを、つらつら考えると「う、うーん・・・」と困ってしまうわけです。
お葬式に関しては、自分自身のお葬式については、どうでもいいのですが・・・、
仮に、自分が喪主のような立場となって、取り仕切らねばならなくなったときのことを考えると、具合が悪くなりそうです。
親も高齢ですし、今はかろうじて元気に過ごしていますが、いずれ「お別れの日」がやってきます。
そのとき相談する人もなく、すべて自分で考えて手はずを整えなければいけないのかな、と思うと心細さのあまり動悸が激しく・・・胸が苦しくなります(ちなみに健康診断では、特に問題はありませんでした)。
こんなことを、急に考えるようになったきっかけは、弟の死です。
突然の弟との別れ
今年のはじめ、弟が亡くなりました。
私と3歳違いの弟は、昔からとても出来が良く、性格も(キツい面がありつつも)全体的に穏やかな印象で、中学・高校生のころにバイクを乗り回してすっ転んでいた以外は、非常に優秀な子でした。
大学卒業後は、希望通りの会社に入社し、その当初から良い上司や先輩に恵まれたようで、うまく育ててもらったのだと思います。
周囲に引き立ててもらいながら、仕事は順風満帆で、そうこうするうちに人生の伴侶にもめぐり合いました。
弟夫婦に子どもはいませんでしたが、その分、休日も、仕事がらみの社交の場にも、常にふたりそろって出かけることの多い、仲睦まじいカップルでした。
そんな弟のことですから、何の心配もしていませんでした。
それが、ある日
「肺がんが見つかりました。ごめんなさい」と弟からLINEのメッセージが入りました。
「うそやん・・・」(←関西出身なんで)
と呆然としている間に、
弟はつらい治療に耐えながらも、1年半ほどで亡くなってしまいました。
とても、あっけなかったです。
最初の病院が、がんの存在を見落としたこともあって、次に診察したときには、ステージ4ということでした。
それについては、いろいろと思うことはあるのですが・・・。
弟はすべてを受け入れ、のみ込み、後に残すことになる妻のために、前向きに闘っていました(当初から、自分の命の期限は察知していたようです。)
会社側も最大限の配慮をしてくれて、最後の最後まで、心地よい職場環境を提供してくれたようです。
そして、病気と闘いつつも、弱っていく弟を、暖かい家庭の雰囲気を崩さぬように、支えきってくれた義妹には、感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。
とても、芯の強い女性なんだなと、
そんな健気(けなげ)な彼女をひとりにしてしまって、と、
いまだに、その時のことをふと思い出すと、感情が乱高下します。
実際には役立たずなお葬儀知識
お葬式というと、普通の人ならば一生のうちに数回、経験する程度でしょうが、私の場合、司会者という立場で、これまでに2000件以上のお葬式にたずさわってきました。
といっても、葬儀専門の司会というわけではなく、
イベントやブライダル、その他セレモニー関連、なんでもござれなフリーランスのMCという立場で、家族葬~社葬まで、司会者が必要なときにはオファーがあって出向く、という形です。
それでも20年以上も関わっていると、それなりに知識も身につき、経験も積み上がって、なんとなくプロっぽくなってきます。
ところが、いざ身内に不幸があった時、それらの知識も経験則も、空回りして、役に立たないんですよね。
特に、土地勘のない場所や地域で、即座にお葬式の手配をしなければならないような場合、病院側が差し出す葬儀社リストを目前に、ただ、ただ、ぼんやりするばかりでした。
悲しみの温度差を実感したこと
これまでにも、親戚に不幸はありましたし、知人関係のお葬式にも参列することはありました。
ただ、すでに準備万端、整った式場に駆けつける「私」は、どうしても弔問に訪れた「お客さま」という感覚でいたのだろうと思います。
たとえそれが、大好きな祖父母のお葬式であっても、感覚としては、やはり弔問客にすぎない「私」でした。
悲しい気持ちはあっても、一定のレベルでストップしてしまうのです。
そして、その状態でお葬式を見守る感覚となり、どこか夢の中の出来事のようでした。
だからこそ、必要な立ち居振る舞いも、周囲を気遣うことも、式場までの長距離の運転も安全にこなせたのだと思います。
そして、何もかもが終わってから、ゆっくりと「ああ、もういないんだな」と、現実をのみ込む感じでした。
そう考えると、これまでに参列したお葬式は、別れの悲しさは本物だったけれど、どこか「他人事(ひとごと)」だったのかもしれません。
仕事においては、まさしく他人であるがゆえに、「より良いお式にしてさしあげよう」などと考え、すべてに目を配り、采配を振ることが可能だったんですね。
つまり、冷静でいられたわけです。
ところが、身内の死は、そうはいきませんでした。
悲しみにひたっていられないお葬式準備
お葬式の準備にかかわる、ということは、それだけ亡くなった人物に近しい関係、ということになります。
つまり、家族ということです。
特に複雑な事情や、感情のもつれがない限り、その喪失感や悲しみはもっとも深いものとなります。
にもかかわらず、うちひしがれている時間など、ほぼありません。
大きな喪失感に呆然としている最中(さなか)であろうと、物言わぬ人の体を、すみやかに安置できる場所へと移動させなければなりません(そのように、遠回しながら病院側からうながされます)。
その手配も自分たちでしなければならないのが、身内の宿命です。
そんな時、人よりも多少の知識や見聞きした経験があったとしても、それをうまく役立てることは非常に難しいです。
とにかく、頭が働かないのです。
頭が働かないなどと、薄ぼんやりしているわけにもいかず、脳にむち打って、無理矢理でも「安心な居場所」のために、行動しなくてはならないのです。
つまり、葬儀社選びです。
それが、最初にやるべきこと、でした。
弟の希望とお葬式準備
弟のお葬式は、無宗教で行いました。
弟は、自分のお葬式については、ある程度、夫婦で話し合っていたようです。
話し合うというよりも、いくつかの希望を伝えていた、というほうが正確ですね。
葬儀社は、会社の組合が提携している中から選んでいました。
これについては、
病院で義妹から「どうしましょ」と相談されたときに、私が返事ができなかったこともあって・・・、
弟があらかじめ「その場合は」と、次点の選択肢を用意してあったそうです。
(・・・ぬかりないね、Kくん。
えらいね、Kくん。
なのに、なんで想定外に逝っちゃうかなぁ・・・?)
そして、後のわからないことは「お姉ちゃんに、相談してな」と。
そのお姉ちゃんは、序盤は役立たずな状態でしたが、式場の準備が整いつつある段階になると、息を吹き返し、助言らしきこともできるようになりました。
喪主になるには若すぎる義妹に、私が付きそう形で、葬儀屋さんの説明を聞き、一つひとつ相談しながら決めていきました。
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葬儀の形式は、さまざまな理由から、僧侶を呼ばない無宗教という形を選びました。
真夜中に病院に駆けつけてから、朝も昼もわからないまま、決めることも、考えることも、山ほどありました。
私がポンコツ状態だったとしても、
予備知識があればこそ、必要なものを選んでいくことができましたが、まったく何も知らない状態からは、すべての項目を自分に合わせて「選ぶ」というのは、なかなか難しいのではないかと思います。
そのためにも、大まかでもいいので、「こういうお葬式」という話し合いは、日頃からしておくことが大切だと痛感いたしました。
お葬式で知った弟の生きた日々
通夜の準備が整い始める頃には、義妹の一報から連絡を受けた、弟の会社の方々が、会場受付の手伝いに来てくださいました。
続々と運び込まれる供花の序列(並び順)や、名札の確認などを引き受けてくださったので、ずいぶんと助かりました。
会社関係や取引先関係から届く弔電の仕分けについても、そのまま丸投げさせてもらいました。
通夜にも、お葬式にも、弟の会社関係をはじめ、生前に付き合いのあった方々、すでに退職したOBの方々までもが、お別れに来てくださいました。
会社ネットワーク、すごいです。
思い出という、得がたい形見
通夜式の前後では、お参りに来てくださった方々が、それぞれの立場から、代わる代わる弟との思い出話をしてくださいました。
弟の厳しい面や、かわいげのあった面、楽しかったり、いっしょに苦労した話、弟にお世話になったという話まで。
一流の営業職の方々のウィットに富んだ、優しさあふれる語り口には、しばし、つらい悲しみから浮上して、弟の生き生きとした姿を思い浮かべ、微笑むことができました。
おかげで、私たちが知り得ない、会社での弟の様子を、最後の最後に心に刻むことができました。
お葬式では無宗教ということで、社長をはじめ各代表の方々が、とてもていねいに弟と過ごした日々のことを綴った弔辞を、ゆっくりと読み上げてくださいました。
一言一句が、今でも、私たちにとっての形見となっています。
弟は、こんなにも「人」に恵まれて、生きていたんだなと――。
「人」に恵まれて生きた弟は、人生の仲間たちに、こんなにも大切に見守られながら、一生をしめくくることができたんだな、と――。
生前の弟の意向をくんだお葬式は、弟にふさわしい儀式となりました。
弟に関して、ただ一つ幸いと言えるのは、このお葬式が、新型コロナ感染症が日本に蔓延する直前だったことです。
それが、たった一つの幸運でした。
それが唯一の救いとなりました。
ーーそう、思っています。
私がこのブログを始めた理由
人生って、いつなんどき、何が起こるかわかりませんね。
まさか自分より若く、仕事も充実して、ゴルフ三昧だった弟が、こんなにも早くに逝ってしまうとは思ってもみませんでした。
これまでは、自分に何かがあっても、弟がいるから大丈夫、とばくぜんと考えていましたが、その選択肢は失われました。
いまだに悪い夢を見ている感じがあります。
皮肉にも、このことがきっかけで、私はこれまで真剣に向き合ってこなかった「死ぬこと」について、真っ向(まっこう)から考えるようになったわけです。
(逆に、これまで元気に、自分のお葬式の希望をのべていた母は、ふっつりと口を閉ざしてしまいましたが・・・)
そして、考えるだけでは忘れてしまうので、いつでも情報を引き出せるように、ブログにまとめておこうと思った次第です。
つまり「今、あれ必要!」という時、それを誰かに伝えたい時、情報が紙媒体で、引き出しの中だと、間に合わないんですよね。
無意味にスマホをいじりながら、このたび、そのことを痛感したので・・・。
死ぬにもお金がかかる、という現実
お葬式をするかしないかは関係なく、今の時代、死ぬにもお金がかかります。
故人を病院から運び出す移送費用、人件費、安置できる場所代、式場代、棺代、葬儀費用に火葬費など、ざっと考えただけでも高額です。
勝手に野垂れ死んで、自然に土に還る、というわけにもいかないので、周囲に迷惑をかけないためにも、それなりの準備はしておいたほうがいいようです。
それは、私のように「おひとりさま」だけでなく、家族全員を見送って最後のひとりになった方も、同じです。
また、亡くなった後を任せられる伴侶や子がいたとしても、残された者が後々困らないようにはしておきたいですよね。
さらにプラスアルファとして、お葬式の形式に希望があるなら、それを実行してもらえるように根回しも必要です。
弟のお葬式の手続きにたずさわった経験から、ほんの少しでも「自分が死んだ時のこと」を考えておくのと、まったく考えていないのとでは、残された者の心労と経済的負担が大きく違ってくると、実感しました。
このブログでは、特に「お葬式」に関して、私が知っていることや、自分で調べたこと、後々参考にしたいことなどを、まとめています(その予定です)。
まあ、自分のための終活ノートブック覚え書き、のようなものですね。
あとは、このブログを一生懸命に綴ることが、私の心のリハビリにもなってくれるんじゃないかと思っています。
とはいえ、のんびり屋の私のことですので、「一生懸命」のペースは、かなりゆっくりになりそうですが・・・(^_^;)々
私は、お葬式の司会者をしていた立場から、葬儀業界の内情も多少は知っていますし、お客として葬儀会社を利用する側にもなりました。
両方の視点に立って、納得できるお葬式の実現や、自分にふさわしい人生のしめくくり方などを模索していきたいと思います。
このブログを見てくださっている皆さまとは、立場も環境も違うでしょうが、同じように「お葬式」「終活」について考えている方であれば、多少なりとも参考にしていただけるかと思います。
よろしければ、このブログの記事を、お役立てくださいね。
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